Bitter Valentine



今年のバレンタインの前日は、13日の金曜日。
なんとなく不吉な予感がする。

早朝に入っていた撮影が予定より早く終わり、ちょうど昼前の授業が終わるころに学校に登校することができた。
お正月が過ぎ学校が始まったあたりからなぜか、午前中に仕事が集中したためここの所ずっと沙織と会えていない。
久々に会えるということに内心小躍りしたいほど喜びながら足取り軽く校内にはいる。
靴箱を開くとドサドサと煌びやかな箱が重力に従って大量に足元に降り注いだ。
大小合わせて20個前後。
数瞬の沈黙後。

どうやってつめたのだろうこの狭いスペースに……

毎年、この時期に靴箱に詰められている。
無碍にも出来ずに律儀に広い集める。
唯一の救いは沙織に見られていないこと。
授業はもうすぐ終わるだろうと踏んだ俺は、芸能科の科長室に足を向ける。
6畳ほどの広さで、各科の科長に与えられる部屋。
執務用の机に手にしていた物体を無造作に置く。
この時期は、もう見たくないほどのチョコが俺の手元にやってくる。
学校、又は、事務所を通してモデルの『Ryo』宛てに。
もらったチョコは、いつも琉誠が片付けてくれる。
あいつは、超のつくほどの甘党。
対して俺は、大がつくほど甘いものが苦手だったりする。
しかし、不思議と沙織の作ったものは、素直に食べることができる。
もともと、甘さ控えめなのかもしれないが。
午前中最後の授業の終了のチャイムが鳴った。
下駄箱の中にあった物体は、科長室に其のまま置いておき、学業のための道具が詰まった愛用のバッグだけ手に持ち部屋を後にする。
とりあえず、昼休みには去年の夏休み前あたりから、俺、沙織、雄輝、雄輝の妹の4人で生徒会室で過ごすのが日課になっているため、急ぎ足で目的地に向かう。
が、生徒会室目前でなぜか大量の女子軍団に包囲された俺。
手には、下駄箱に入っていた物体と同じように煌びやかな箱。
毎年、下駄箱に入っていることがあってもこんなにたくさんの女子に囲まれたことは一度としてないのに。
俺としては、今絶対絶命の窮地に追い込まれている気分だ。
こんな場面を沙織に見られたくない。
それは、嫉妬してくれたら少しは嬉しいと思うことはある。
けれど、どうも沙織はいつも一歩引いてしまう。
泣きそうな顔を我慢して、無理に笑って、身を引いてしまう。
今まで、どのくらいそうやって我慢して、身を引いて、諦めてきたんだろうか。
我慢して、内に貯めて、そうした末に彼女はどこでその思いを消化しているのだろ。
沙織がどこかで一人さびしく声も泣く姿が浮かぶ。
そんなことさせたくない。
だから、できるだけ沙織をそんな思いにさせないようにしたくても現状が許してはくれない。
かといって、取り囲んでいる乙女のようにきらきらした笑顔を振りまく女子軍団を職業柄無碍にできない自分が恨めしい。

案の定、天は俺に味方なんかしなかった。
朝からあった不吉の予感は見事ド真ん中に的中する。
雄輝の妹と共に俺が来た方向とは別の方向、つまり対面になる前から生徒会室に向かって歩いてきた。
背の高い俺は、女子軍団に囲まれていて埋もれることも姿が隠を隠すことも出来ない。
ばっちりと沙織と目が合った。
沙織は、一瞬キョトンとした顔をしたあと、目を泳がせて他人行儀のように軽く会釈すると来た道を足早に引き返して言ってしまった。
雄輝の妹にはすごい形相で睨まれた後、彼女も沙織を追って、きた道を引き返して行った。
会釈する前の一瞬、泣きそうな顔が俺の脳裏に焼きついた。
最悪だ。
とりあえず営業スマイルを浮かべながら甘いものは苦手とチョコを受け取ることをやんわり断りつつ包囲網を脱出する。
追走させないために素早く生徒会室に駆け込んだ。
「あれ? 涼雄、お前今日仕事じゃなかったのか?」
雄輝が呑気に山と積まれたチョコの包みの横で弁当を広げながら入ってきた俺に声をかけてきた。
「早く終わったから、昼に間に合うと思って登校したんだけれど……」
げんなりした声でそう雄輝に答えた。
「……、なんかあったのか?」
首をかしげながら怪訝そうにそう雄輝が聞いてきた。
「一番見せたくない場面を、ジャストのタイミングで沙織に目撃された」
深いため息をつきながら、おれはソファーに深く腰を下ろした。
「付き合ってることを周りに知られると沙織に迷惑がかかるのがわかっているから、追っていけなかった」
「難儀だなぁ、お前」
自分の弁当を食べつつ雄輝は、同情した声でそう言った。
「お前の妹に、ものすごい形相で睨まれた」
恨めし声でそう雄輝に、愚痴を言うと、
「ははは、覚悟しておけ? あいつは、沙織ちゃん命だから、暫く怒りが収まるまでか、沙織ちゃん自身が止めない限りお前と沙織ちゃんの間に割ってはいるぞ?」
傍観者よろしく、この成り行きを楽しむかのようにククッと笑いながらそう雄輝は忠告する。
「勘弁してくれ」
頭を抱えて俺は本気で困窮した。
「でも、お前もいい加減、仕事なんとかしろ。 でないと、本当に沙織ちゃんお前が手の届かないところにいってしまうぞ?」
打って変わって、真面目な顔で雄輝はそういきなり忠告してきた。
「……わかっている」
そう、雄輝に言われなくても解っている。
実際の所、休みなんて何とかすればどうとでもなるのだ。
沙織には絶対に言えないことだけれど、寸前の所でいつも天秤は仕事のほうに傾いてしまっているのだ。
「彼女が、絶対にお前と離れないというのは疑いのないことかもしれないが、だったらせめてもう少し彼女の周りに目を向けてやれよ」
そういって、雄輝は1cmはあろうかという厚さにまとめられたコピー用紙を俺のほうに投げてよこした。
「……なんだよこれ?」
寸前の所でキャッチしながらそう雄輝に問うと、
「去年の桜木町の花火大会の後あたりから某モデルのファンが立ち上げた非公認のファン交流掲示板の記事」
そう言われて、何のことかよくわからないがその厚いコピー用紙に書かれていることを黙読する。
読んでいるうちに、自分でも堪忍袋の緒が切れた音を何度も聞いた。
罵詈雑言、あることないことねつ造話。
それにのってさらに蔑み、妬み、が際限なく綴られている。
辛うじて実名は、出ていないがそれが誰に対して書かれているのかは否応でもわかる。
「とりあえず、裏から手をまわしてその掲示板閉鎖させた。 もっとも閉鎖に追い込んだのは希有だがな。 それと、ネット内のことだから彼女がその掲示板を見ていたかどうかはわからない。 だが、その掲示板は『Ryo』関係であって、学校では、ああ、これは希有からの報告だが沙織ちゃん、教科書がなくなるとか、靴が捨てられるとか、そんな些細な嫌がらせを受けているらしい。 これはおそらく『Ryo=涼雄』と気づかれていないが、頭脳明晰容姿端麗で芸能科科長である涼雄お前の『親衛隊』によるものと思われる。 よって、彼女は、まぁ、実際は同一人物なんだが言うなれば2人の男性を各思っている視野と懐が狭い女達からの嫉妬による攻撃を受けていたことになる」
雄輝の話を聞いて、勢いよく顔を上げる。
「だが、最近になって沙織ちゃんが、『Shi』の妹で『See』(詩織のこと)の姉っていうことがようやく広まって、お前との仲も兄弟と同様なものと思われたらしい。 とりあえず学校での嫌がらせは表面上は無くなったようだが」
少し冷ややかな視線を送りながら雄輝はそう現状を俺に話す。
「沙織が、そんなことになっていたなんて、俺は知らなかった」
泣きそうなかすれた声で俺はそう反論した。
反論の言葉を呟いていたが、実際は解っていた。
沙織が俺に言える訳がない、俺に迷惑がかかると解っていることを。
本人から状況を聞かなければ俺は知ることが出来ない。
そういうことが起こるとは頭で解っていても、何の回避策も事前に打ってはいなかった。
逢うたび、沙織が笑っているから。
本当に、嬉しそうにしていたから。
昔からそうだった。
一人で耐えて、表面には絶対に出さない。
それでも俺が、なぜ打ち明けないといったところ「そんなことはない」と笑顔で「大丈夫だから心配することでもないから」と返されるだけだろう。
それでも、もう少し俺が気をつけていれば、彼女の周りに置かれている状況に目を配っていれば回避できたことかもしれない。
それを怠ったのは誰でもない俺だ。
「仕事のほうに傾いている天秤をほんのすこしだけでも彼女のほうに傾けてやれよ。 でないと、お前の知らないところで本当に彼女を失うことになるぞ」
ふざけた脅しでも冗談でもなく、雄輝は本気でそう忠告してきた。
「昨今の『熱狂的なファン』というものは何をしても許される妄想に取りつかれているからな。 軽い犯罪なんて平気で犯すぞ?」
その言葉にぞっと背筋に寒気が走った。
「幸い、未遂ですんでるがな」
続けて発せられた言葉に身が凍った。
未遂ですんでいる?
それって、すでに沙織に身に危険が及んだことを示唆している。
「……それでも、俺は、沙織を手放すことなんて、離れることなんて、出来ない」
絞りだすような、苦しげな声でそう誰にでもなくそう呟くと、
「あほう、離れて、手放してどうする。 そんなことしたらお前でなく完全に彼女のほうが壊れるぞ?」
「え?」
「だってそうだろ? こんなに、嫌がらせをうけても、彼氏が仕事人間で実際に直接会えるのは月に数回の数時間だけで、逢えるのは本当に少しの時間だけなのに不満を漏らすこともなく健気で、お前の前ではいつも本当に至福の笑顔でいて、普通ならとっくに別れ話が出ていたもおかしくない状況なのに、別れようともしない。 お前に迷惑をかけることは少しも見せずに、その笑顔の下に隠す。 どう考えてもそんな、女子高生なんて今どきいないぞ? それでは、なぜ? 答えは簡単だ、お前が、いるから彼女はやっていけてるんだよ。 彼女のお前に対する思いが本物でゆるぎないから、お前から切れないかぎり彼女は強く在れる」
返す言葉もなく、俺は項垂れる。
「お前も沙織ちゃんも俺にとっては大切な親友であり大切な妹の無二の親友だ。 悲しい結末なんて見たくないんだよ」
そう言って、ため息をつくとそれ以上何もいわずに雄輝は自分の弁当を食べ始めた。

今の状況に甘えていた俺に、突きつけられた現実。
ずっと目を瞑って先延ばしにしていた代償。
唐突に、訪れてしまった選択の時。
でもその前に、今は行かなければ。
沙織のもとへ。
「涼雄、あんまり難しく考えて、ひとりで思いつめるな。 何の為の親友だ、遠慮なく相談しに来いよ?」
生徒会室を出ていく俺に、雄輝がそう声をかけてきた。
「……ああ」
俺はそう、短く返事を雄輝に返すと、生徒会室を後にした。


その部屋の戸をノックするとなかから一人の女子生徒が出てきた。
出てきてすぐ戸を閉めその前に仁王立ちで立ち俺の侵入を阻んている。
「何か用でしょうか? 真宮先輩」
怒気満面の沙織の親友であり雄輝の妹、友永希有(ともなが きゆう)嬢。
「中にいるんだろ? お願いだ通してくれ」
ここは、普通科の科長室。
普通科の科長でもある雄輝以外が入ることができない部屋なのだが、妹の希有嬢は入れるのを知っていた。
ついさっき聞いたことが本当に起きているのなら、多分ここにいるだろうと迷わずこの場所に来た。
沙織にとって、昼休みの間、生徒会室とここが唯一の安全地帯。
「……雄輝に、全部聞いた」
彼女の眼を見てそう俺は言った。
数瞬の間の睨みあい。
「……、いいでしょう。 今回は、許して差し上げましょう。 けれど先輩、もう次は無いと肝に銘じてください」
ぞっとするような視線を俺に送りながら彼女は横に一歩ずれて部屋の入口を開けた。

普通科の科長室は薄暗かった。
部屋の構造は芸能科の科長室と寸分も変わらない。
その部屋の窓際の隅に沙織はこちらに背を向けてしゃがんでいた。
「沙織」
俺は、迷うことなく後ろから沙織を抱きしめてそう耳元で彼女の名を呼んだ。
一瞬ビクッと沙織の肩が揺れた。
沙織を俺のほうに向けてに抱きなおす。
力を込めて逃げ出さないように。
「泣くなら俺の腕の中で泣いてくれ。 こんな寂しい場所で一人で声もあげずに泣かないでくれ」
懇願するように彼女の耳元でそう囁く。
「俺は、沙織に彼氏だろう? 遠慮しないでくれ。 遠慮されると俺が辛い」
そう続けて言うと沙織がおずおずと俺の背に手を回してきた。
「思いは一方通行じゃないんだ。 俺も、沙織が俺を思っている以上にお前のことを思っているのだから」
背に回された、沙織の手に力が込められた。
くっ……・ふぅうう、ぅぅ
小さな嗚咽が聞こえる。
身を震わせながら声もあげずに沙織が俺の腕の中で泣き始めた。
俺は、彼女を抱きしめながらも背中を優しくさすった。
どのくらいそうしていたのだろ。
長かったような短かったような。
やがて嗚咽が止み、沙織が腕の中で身じろぐ。
「りょ、くん。 ありがとう、ごめんね泣いちゃって」
顔を上げずにまだ少し涙声でそう沙織が小さく囁いた。
「なんであやまるんだ? 沙織は何も悪いことしていないだろ? 悪いのはむしろ俺のほうだ」
「涼くんは、わるくなんか……」
「いいや、俺が悪い。 あの時、躊躇わずに沙織を追いかけて、安心させてやることが先決だったのに俺は上っ面の体面にしか目がいってなかったばかりに選択を誤った」
俺は、沙織の言葉を遮ってそう断言した。
「でも、涼くん……」
「それに謝るなら、俺のほうだ。 沙織にいっぱい辛い目に合わせていたのにそれすら気づいてやれなかった。 守るためのことを何にもしてやらなかった」
沙織に反論させないよう胸に押しつけるように抱きしめながらそう彼女に対して懺悔をする。
沙織は、否定するように腕の中で頭を横に振る。
「こんな、不甲斐ない彼氏なのに、どうしようもない仕事人間なのに別れないでいてくれて、ありがとう。 それと、お願いだ、どうかこれからも俺のそばにいてくれて」
彼女を抱きしめる腕に力を込める。
腕の中で彼女が頷いた。
俺は、抱きしめる力を少し緩め沙織の顔を上げさせる。
目元が腫れて赤くなっている。
まだ、沙織の目じりにたまっていた涙をそっと俺の指で拭う。
どちらともなく自然と唇が重なる。
深く優しく。
何度も、何度も。

俺は、このとき一つの決意を固める。
まだ、早いのは重々承知の上。
それでも、もう、何もせずにはいられない。
この機に、その結果に向けて動き出すことをしなければ、手遅れになってしまう気がした。

だから、俺はこの日から逃げることをやめた。




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