夏夜のひととき 【2】 



 夏休みに入っているため学校がなく、今日をオフにする為に仕事が夏休み初日から今日まで詰まっていたためほとんど沙織と会うことができていなかった。
 が、しかし、前からオフにしておいたはずの花火大会の当日にいきなり仕事が入った。
 この業界じゃ珍しくもないが、今日いきなりと言うは勘弁してほしかった。
 今回ばかりは、文句の一つも言いたい気分だった。
 せめてもの救いは、その仕事が夕方前までで終わるという事。
 花火大会に行くことは出来そうなので正直ホッとした。
 「絶対仕事を入れないでいてもらうから」と宣言した手前、さすがにドタキャンはしたくなかった。
 けれど、家から一緒に行くことが出来なくなってしまったので外で待ち合わせすることとなった。
 春から沙織と付き合うことになったのに、今だデートはおろか隣に住んでいるのに朝の登校時と学校内での限られた少ない時間の間でしか会うことが出来ないでいた。
 それなのに、沙織はいやな顔を一切せずにいつも笑顔で涼雄の隣に居た。
 いつだか沙織が、
「涼くんは、お仕事していて、学校にもきてるんだから今までどおりでね? 私は、朝やちょっとした時間で少しでも涼くんに会えればそれだけで十分。 私に合わせることないからね?」
 と、全てを癒すような柔らかい笑顔でそう俺に言ったことがあった。
 正直、そう言ってもらえて俺は助かっていた。
 この世界、そう甘い世界ではない。
 プライベートは、有って無きの如し。
 契約に基づいての仕事だから所属事務所に逆らえるはずもない。
 けれど、涼雄は沙織のことは手放したくなかった。
 理屈でなく、手放すことは到底出来ない程に根底に根強く存在するのだ彼女への想が。
 ようやく手に入れたたった一人の安らぎ、安らげる場所。
 ほんの僅かの間でも会えるだけで癒される。
 正直、本当はずっとそばに居たいし、居てほしい。
 普通の彼氏彼女の関係のような甘い時間をなんのわずらいもなくすごしたい。
 しかし、今の状況では其れは不可能に近かった。
 だから、今日はなんとしても一緒に花火大会へ行きたかった。
 普段、ほとんど何も望まないでそばに居てくれる沙織が珍しく「行きたい」と望んだこと。
 出来れば、絶対かなえてあげたかった。
 仕事が予定時間より長くかかったために、あせっていた涼雄は慌てて身支度した為に致命傷と言える格好をしていることに気づくことはなかった。
 



 桜木町駅の駅前で、沙織はそわそわと涼雄を待っていた。
 涼雄が、ギリギリまでモデルの仕事が入っていたため直接現地で落ち合うことになっていたのだ。
 遠くから、お囃子のようなBGMが聞こえ、出店特有の食欲をそそるような美味しそうな匂いが漂ってくる。
 しかし、沙織にはそんな音も匂いも遠いかなた、裾をなおしたり、髪飾りを気にしたりと、いまかいまかとドキドキしてそこで待っていた。 
「沙織?」
 と、待ち人の声を聞き満面の笑みを顔いっぱいに広げながら沙織は振り返った。
 が、その笑顔が崩れ驚いたような顔のまま沙織はその場で固まった。

 なんだか別世界の人

 そう、思ったのも無理はなかった。
 涼雄は、いつもしている眼鏡をかけていなかったから。
 でも、これが涼雄の素顔であり、モデルの「Ryo」だ。
 いままで、あまり見ないようにしていた涼雄のもう一つの顔。
 みることで、手の届かない人になってしまうように思えていた沙織には、今の涼雄の姿は衝撃的だった。
 私服の涼雄がそこに居た。
 黒いキャップを目深に被り、黒いランニングのシャツに薄生地の白い半そでのシャツを着てすらっとした紺のジーンズを穿いている。
 首には、銀のクロスのトップが付いた皮ひものアクセサリをつけていた。
 春から付き合いだしたものの、涼雄がモデルの仕事をしているためにデートはおろか学校以外で会うことは出来ないのだ。
 涼雄の仕事がどういうものかいやというほど解っている沙織は、彼に迷惑を負担を掛けまいと僅かに会える時間をほんのひと時の幸せの時間を大事にしていた。
 しかし、私服の涼雄をはじめて見た沙織は、その姿に恐怖と言っていいほどの不安を抱いていることに気づいた。
 制服を着ている涼雄はまだ普通に近づける場所にいるように思えるのだが、私服姿の涼雄は桁違いに格好よくてとても大人に見えて、背が低いため幼い姿の自分がひどく不釣合いに思えた。
「沙織、どうかした?」
 固まって動かないことを怪訝に思ったのか涼雄は、沙織の顔を覗き込んでそうきいた。
 沙織は、その問いに「ううん、なんでもないよ」と答えて無理やり笑顔を作った。
 その笑顔をみた涼雄は、ほっとした表情を浮かべながら沙織を促して花火大会の会場に向かうべく歩き出した。


 その涼雄と沙織のやり取りを遠くから鋭い目で見ていた者たちが居た。
 嫉妬の光をともした暗い瞳。
 しかし、その視線に二人は気づくことがなかった。
 このときの視線が、後に重大な事件を巻き起こすことになるとは、この時誰一人想像できる者はいなかった。



 手をつなぎながら商店街のメインストリートを歩いていく。
 歩行者天国になっていても結構の人手で、ぶつからないようにうまく人波を避けて歩く。
 両側には、出店が連なり食欲をそそる良い匂いがあたりに充満していた。
 ふっと、隣を歩く沙織を見下ろす。
 沙織は、薄い明るい紫地で花柄の浴衣を着て、髪もアップにして共布地の髪飾りをつけている。
 とても似合っていて、横に居るだけでドキドキした。
 時々涼雄を見上げる沙織のその姿に涼雄の理性は限界ギリギリまで押し上げられる。
 抱きしめてキスしたい衝動に駆られる。
 それをなんとか抑えて、花火が良く見える場所へ移動するためにあまり会話もせずに早歩きで歩いていた。
 普段なら、たわいのない会話をしながら楽しくのんびり歩きながら行くのだが、花火開始時刻ギリギリに合流したために時間がなかった。
 それに、普段の制服姿でない沙織をみて、動揺してしまったことにも大きく関係していた。
 モデルの仕事関係で、この花火大会に詳しいスタッフに教えてもらった絶好の場所に着いた。
 穴場らしく、あまり人が居ない。
 よさげな芝生の上に沙織が持っていた手提げから折りたたまれた一畳ほどのレジャーシートを取り出し広げた。
「沙織、用意がいいな」
 感心してそう言うと、
「花火って立ってみるの大変でしょ? 座れる場所があったときの為に念のため持ってきたの」
 はにかむように笑うと「座ろう?」と、そういって沙織はシートの上に腰を下ろした。
 涼雄は、沙織の横に座ると同時に沙織の腰に両手を沿、持ち上げると自分の足の間に座らせ、後ろから抱きしめた。
「ええ? りょ、涼くん?」
 突然のことに驚いた沙織が、声を上げた。
「ずっと、こうしたかった」
 涼雄は、沙織の肩に顔を埋めながらそう耳元でささやいた。
 シャンプーの匂いなのかとても良い香りが沙織からした。
「沙織の浴衣すごく似合っていて、ものすごく可愛くて、俺、理性飛びそうだ」
 耳にかかる涼雄の息にビクッと反応しながら、
「りょ、涼くん。 は、恥ずかしいよぉ。 ここ外だよ? あ、あの、あその」
 今の状況に動揺したようなあせったような声で沙織はどもりながら涼雄にそう抗議した。
「大丈夫暗いし解らないよ? それに、俺、もう沙織禁断症状なの。 ずっと今まで会えなかったからしばらくこのままで居させて」
 離すものかと、さらに抱きしめる腕に力を入れながら切なげにそう沙織の耳元でささやく。
 そういわれると、何もいえなくなる沙織は顔を真っ赤に染めておとなしくなった。

 程なくして、花火の打ち上げが始まった。
 絶好の場所と言う通り、何の障害もなく夜空に上がる花火を見ることが出来る場所だった。
「きれいだね」
 花火をみながら沙織がつぶやく。
「そうだな」
 涼雄はそう相槌を打ったが、実際は花火など見ていなく腕の中の沙織を見ていた。。
 打ちあがる花火を見る姿は恍惚としていて、花火に照らされる唇に誘惑にされている気分になった。
 その誘惑に勝てず涼雄は、沙織の顎に手をそえて後ろに向かせると、抵抗される前に唇を重ねていた。
「?!」
 突然のことにびっくりした沙織は、一瞬目を見開いたが、直ぐに閉じた。
 はじめは、ついばむようなキスもだんだん深くなっていく。
 が、途中で涼雄は理性を取り戻しゆっくり離れる。
 しかし、沙織はすでに腰砕け状態になっており、浅い息を吐きながら涼雄にもたれかかっていた。
「沙織、仕事ばかりであまり会えないけど、こんな俺だけど、出来ればずっと一緒に居て」
 切ない声で涼雄はそう沙織に哀願した。
「うん、涼くんがもうそばに居なくて良いっていうまで何があってもそばにいる」
 涼雄の胸にもたれながらそう小さな声で沙織はそう言った。
「それは、一生ありえないから。 俺が、沙織にそばに居なくて良いなって言うことは絶対ありえないから」
 そう言いながら涼雄はそっと沙織を抱きしめた。


- 完 -

加筆修正:2008/09/29
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