思い出のぬいぐるみ


2.

 とても気持ちのいい朝だった。
 今日は、俺の通う高校の入学式だ。
 俺は、その学校の芸能科に在籍しているのだが、その科で一番成績が良いという理由で、なぜか強制的に科長にされていた。
 科長とは生徒会の役員の一部で、各科ごとの生徒の代表だ。
 何かの行事につけてかりだされる。
 入学式の準備を手伝うために、朝早くから俺は学校に来ていた。
 体育館で使う来客用のスリッパが入った大箱を両手で抱え体育館へ向かう。
 校舎の中を通るより、正面玄関から外に出て体育館に向かったほうが早いと判断すると進路を変更する。
 体育館まではアスファルトの道なので上履のまま外に出た。
 その時だった。
 何かとぶつかったらしく足に衝撃が走った。
 同時に何かが倒れるような音を聴いた気がしたが、その衝撃で持っていた箱を落としそうになったため、その体制を治すことに必死になる。
 奮闘むなしく箱を落としそうになった瞬間、突然下からなにかに支えられるように箱のバランスが安定した。
 これ幸いと箱を持ち直していると、
「あの、大丈夫ですか?」
 と、どこからともなく女の子の声がした。
「え?」
 その声に俺は驚いて、声を上げる。
 しかし周りには人影がない。
 やがて足元から何かを払う音がした。
 持っていた箱をずらして目線を下に落とすとそこにかなり背の低い女の子が真新しい制服に付いた埃を払っていた。
 そのことに驚くと共に、あることが思い起こされ、
「え? もしかして俺、君にぶつかった?」
 そうあわてて聞くと、
「怪我は、ありませんから大丈夫です。私も気づかなかったのですから、お互い様です」
 そう言ってその子は俺に向かってにっこり笑ったあと立ち去ろうとした。
 その笑顔になにか懐かしさを覚えつつも、彼女があまりにも小さかったので、
「あっ、ちょっ、まって!! 君、ここは高等部だよ?」
 と、そう声をかけた。
 あまりにも身長が小さかった為、中等部か小等部の子だとその時はそう思ったから、つい出た言葉だった。
 その俺の言葉を聴くと彼女は、振り返り深いため息をついた。
 彼女が俺のところまでもどってきて、無言で俺の目の前で真新しい生徒手帳の学生証の頁を開いて見せる。
 そこには、少し緊張気味の顔写真のほか氏名と生年月日が載っていた。

 絹瀬 沙織 (きぬせ さおり)

 名前の欄に、確かにはっきりそう印字されていた。
 それを見て俺は驚き呆然とする。
 数瞬、まじまじと彼女の顔を凝視する。
 その顔は、最後に見たあの時の彼女の面影が確かにあった。
 それに加えてさらに可愛くなっている気がする。
 とたんに心臓の鼓動が早まったのが自分で解った。
「絹瀬 沙織? ってもしかしてお前、隣の家の『さっちゃん』?」
 初対面用につかっている口調をがらりと変え、素の口調でそう確認するように問いかける。
 目の前の彼女は、俺を見上げて少し戸惑った顔をした。
 彼女が何かを思い出そうとするような顔をしたので、
「俺だよ、俺。 隣に住んでる、真宮涼雄」
 と焦りそうになる声を抑えてそう言った。
 それを聞いた彼女が、固まった。
 その数秒後、
「りょうく、ん?」
 そう、小さいころ彼女が呼んでいた俺の愛称をおそるおそる呼んだ。
 奇跡が起こった。
 こんなところで彼女と再会できるなんて。
 うれしくて自然と顔に笑みが浮く。
「久しぶりだな、沙織。 何年ぶりだろお前に会うのって? 信也達からあんまりお前のこと聞かないからちょっと心配してたんだ」
 つい嬉しくて矢次様にそう言葉を重ねる。
 さりげなく小さい頃の愛称ではなく彼女の名前を呼び捨てにして。
 彼女は、そのことに疑問を持つことなく再会を喜んでくれているのか笑顔を浮かべ、
「涼くんが、この学園の在校生だって知らなかった」
 と、少し驚いたような声でそう彼女が言った。
「え? 知らないって、どういうこと?」
 そのことに少し俺は、疑問を持った。
 彼女の兄と妹は、俺と同じに中学の頃からこのエスカレーター式の学校に通っているのだから、当然彼女も知っているとばかり思っていたのだ。
 俺の疑問に彼女は首をかしげる。
「信也とか詩織(しおり)ちゃんから聞いていないのか? 信也と詩織ちゃんもこの学園の芸能科に通ってるだろ、中等部から。 俺と琉誠(りゅうせい)もこの学園の芸能科に中等部から在籍しているけど」
 そう説明しつつ彼女に確認するように聞くと、
「あ、その、えっと、兄と妹とはあまり家で会話しなくて……私、一人違う中学だったから」
 ちょっと気まずそうに、彼女は苦笑を浮かべながらそう答えた。
 その彼女の態度が少し気にかかった。
 一瞬寂しそうな表情が見えたから。
「そ、それより涼くん、それどこかへ運ぶんじゃないの?」
 話題を変えるように、唐突に彼女が俺の持っていた大箱を指してそう言った。
 彼女の指摘おかげで、自分が今何をしている途中だったかを思い出す。
「あっ、やば。 これ、体育館に運ばないといけないんだった」
 そう、慌てて言って箱を持ち直す。
 けれどこのまま彼女の前から去ることが惜しくおもえて、
「沙織、せっかく久しぶりに再会したんだ、入学式の後にあるオリエンテーション終わったら今日は、学校終わりだろ? どこかでゆっくり話しないか?」
 そう聞いてみた。
 すると、彼女の顔が見る見ぬうちに真っ赤になり、
「え、あ、うん」
 と、消え入りそうな声で了承してくれた。
 その反応に、また少し心臓が早くなる。
 もしかしてと、ある可能性が浮かんだ。
「じゃ、終わったら中庭に噴水があるんだ、そこでまってて。 また、あとで会おう」
 はやる気持ちを抑えてつとめて冷静にそう言うと彼女に笑顔を送ってから体育館へ向かった。
 体育館に入る前にもう一度彼女のほうに一瞬目線を向けると、彼女はまだその場に立ち尽くしていた。

 やばい、夢じゃない

 そう、爆発しそうな思いを抑えつつ、こみ上げる喜びをなだめながら早く入学式が終わることを願った。

2008/05/29 加筆・修正
3008/10/16 加筆・修正
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